1月8日
書くことを欠いてはいけない。
どんなに平凡な詰まらない辛い日々であっても、
いつか代え難い日々となる。
そう、年末に思ったはずなのに、
書くに欠いた年末年始となってしまいました。
あけましておめでとうございます。
昨年中は私の駄文の羅列におつきあいいただき、誠にありがとうございました。
これからも、環境の変化、感情の起伏のままに、
ここに言葉を記していこうと思っています。
何卒よろしくお願いします。
大晦日、除夜の鐘をつきにいってきました。
毎年恒例のこと。
海の底に沈んだような街を
コンビニの灯りを伝って歩いていきました。
耳を澄ませば、遠くから聞こえてくる鐘の音。
世界ってこんなに静かになるものかと思いながら、歩いていきます。
除夜の鐘をつくという行為は、
自分の体中に音を行き渡らせることだと思っています。
一つは音を追い出す。
音、希望、欲望、願望、思い。
そんな体に染みついた音を追い出してしまう。
一つは、麻痺して音の行き渡っていない、不感症になっている部分に
音を届ける。
そうして、新しい体で年を迎えることが
除夜の鐘にいく目的ではないかと、突然に思って、
書いています。
ものかきになりたい。
なんて、iPhoneに書き残していた、2013年の私の「断末魔」
年始は初っぱなから風邪を引いてしまい、
文章が書けないで寝ていました。
ひたすらに寝ていました。
でも、ほんものの「ものかき」って、風邪をひいても、けがをしようが、
それころ死に瀕しても、それでも書くのでしょう。
だから、私は甘ちゃん。
最近、バレエや演劇、歌劇の舞台に触れる機会が多くあります。
その場で思うことは、プロのたくましさ。
誰に頼るでもなく、誰の保護、保証があるわけでもなく、
我が身、我が能力、我が人生をもって、表現をするのだから。
そのことのりりしさをきいたら。
信じられないくらい。
素敵なことと思います。
自分も、どの形になるかわらないけど、
そうありたい、完璧になれなくても、そういう面を見せる場所が欲しいと、
思っています。
今年も、人を傷つけ、自分も傷つきながら、過ごしていくのだと思います。
「自分を大切に」、過ごして行けたら。
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- 2014/01/08(水) 19:21:53|
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