3月29日
2012年3月、最後の平日です。
会社勤めの人間としては、平成24年度最後の日。
長い一年でした。
色々書きたいこと、
思うことがあるのですが、
いざこうして日々に向かい合うと、書けないものですね。
果たして私は成長できたのか。
年を取ると一年が短く感じるというけれど、
一年前とて思い返すと、遠い過去のように感じます。
ともかく、自分を取り巻くすべての方に御礼を。
自分にお疲れ様、と。
さあ、24時間の桜の監視にでかけようじゃないか。
次の一年に向けて。
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- 2013/03/29(金) 18:04:07|
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3月21日
かつて、この日が一年で一番愛しい日であったことがありました。
この日が、「愛おしい日」であることはかわりません。
変わったのは私。
その心。
5日も経過してしまいましたが、
3月16日は私の親友「エストニア」の命日でした。
二年が経過しました。
当然のように2年後の未来に、生きている私です。
未だに、彼のことを思うことが多々あります。
当然のように馬鹿騒ぎしていたことを思い出すと
息苦しくなります。
日一日と、彼のいた時間から遠ざかっていく。
その現実が苦しい。
この思いは、いつか固まって、
触れても冷たいと思いだけの記憶のかけらにかわっていくのでしょうか。
少し、疲れてしまいました。
- 2013/03/21(木) 19:07:52|
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3月11日
土曜日に春の到来を感じさせられたものの、
今日は足踏み状態。
それでも、空気を入れ替えるまでには至らず。
日差しの中、近づく春への期待が高まります。
映画の話を。
日本アカデミー賞が発表されました。
昨年は珍しく映画館に邦画をみにいきました。
「ヒミズ」、「僕たち急行」、「テルマエロマエ」、「ホタルノヒカリ」、「北のカナリアたち」
「桐島、部活やめるってよ」、「鈴木先生」、「タイガーアンドバニー」など。
「桐島」が三部門で最優秀賞を獲得ということ。
それぞれ印象に残った作品でしたが、
余韻を残したのは「桐島」でした。
そんな映画が評価されて、嬉しく思っています。
「桐島」といえば、
駅の丸善で原作本を買おうと手を伸ばしたところ、
横から制服の女子高生が同じく、桐島本に手を伸ばして、
あれっという瞬間がありました。
そういう思い出もあったり。
あー、見たくなってきた。
借りにいこうかな。
- 2013/03/11(月) 20:19:14|
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3月8日
金曜日
MIXIの日記を「恋文職人」に移動させました。
これまで秘して、一人で時折読み返す日記でした。
秘するほどでもない、学生時代の後半の日記です。
あくまで私的な情報にすぎません。
移行した文章をみて、思うことは、
味気ない。
理由はきっと、見慣れていないこともあるけど、
コメントが移行できていないことだと思う。
その時どう思ったということよりも、
今ではその時誰と思いを交わしていたか、どんな言葉を交わしていたか、
このことの方が重要に思えているのだと、思っています。
思いは薄れ、言葉は失われていく。
一つ年を取るということでしょうか。
- 2013/03/08(金) 21:40:05|
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3月7日
本日も連続投稿させていただきます。
季節の変わり目だからでしょうか。
空気が変わりました。
どこかよそよそしい春の空気に。
空気が暖かく、少し重たい。
これから一気に春に向かって進んでいくんだろうな。
そんな予感を感じています。
桜が芽吹く頃。
今年の一つの目標として、
福岡市営地下鉄の各駅を題材にして、何か書いてみようと思っています。
それが、いつもの雑文になるのか、
それとも、何等か詩のようなものになるのか、わからないけれど。
キャッチコピーのような短文か、もしかしたら物語にできたら、とも思う。
一気にかけなければ、少しずつ書き足してもいい。
いつか過ぎ去る人間だけれど、
ここにいるのだから、書きたいと、思っています。
そのためには、休みの日には、ぶらぶら訪ねてみないと。
カメラもぶら下げて。
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- 2013/03/07(木) 20:29:15|
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3月7日
自分を探したことがないように、
この悲しみのわけも探さずにいれたら、いいのに。
ついつい後ろ向きに考えてしまいます。
わけもなくわけを探す。
確かめる勇気がないから、自分自身に振り回される。
苦い思いを、することが何度もありました。
色々なことに悩み、まず手に付けないとならないことが
わかっているから、ぐっと堪えようとする。
わけを探さずにいたいと思う。
- 2013/03/07(木) 12:15:50|
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連続投稿、させていただきます。
福岡に来て、2年半が過ぎようとしています。
こちらにきて、いろいろなことがありました。
そのことを一つ一つ書き出すと、とても長くなってしまうし、
真面目に、学んだこと、手にしたもの、できていないことを
書かないとって思ってしまうので、
今日は一つだけ。
福岡に来て、お酒を外で飲む機会が増えました。
なんだ、そんなことかと思われているでしょうね。
福岡はお酒も食べ物もおいしいし、そもそもお店も人も多い。
勤めている業界自体が、お酒を飲むことの多い業界なのかもしれません。
福岡でお酒の相手をする方は、みなさん、強い。
それか、お酒をあまりお召しにならないか、どちらかだと思っています。
だから、ついつい調子に乗って飲みすぎたり、
喋らなくて、だまって飲んでいると、フラフラになってしまいます。
そんなこともあって、
「ちょい飲みいくか?」
と誘われて、結局、二軒いって、終電ギリギリ、たまに逃して。
そんなことがよくあります。
結局ちょい飲みにならなかったなって思うんです。
「ちょい飲み」って言葉、どこか愛おしい。
「ちょい」という言葉の軽快な響きがいい。
気軽に誘ってんだから、無理しないでいいんだって、
誘う側の気遣いが込められているように思います。
そして「ちょい飲み」で終わらないのは、
その時間がとても楽しかったから。
一緒においしいお酒を飲めたから。
だから、つい、
もう少し話そう、もう少しのもう。
いい店にいったんだけど、連れて行きたいな。
お金ないから、いつものあの店にいこう。ボトル、まだ残っていたはず。
ついつい、ね。
そう考えると、もう慣れ親しんでしまった、
「ちょい飲みいこうや!」
なんだか、とっても愛おしい。
今日はこの気持ちに感謝を添えて。
いつも、ありがとうございます。
また、いきましょうね。
ちょいと、いつもの店に。
- 2013/03/06(水) 19:05:51|
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3月6日
過ぎて行った昨日は、二十四節季の啓蟄。
「陽気地中にうごき、ちぢまる虫、穴をひらき出ればなり」ということ。
まだ風が吹けば寒いと思うし、
地下道の空気をひんやりしていて気持ちいい、なんて
思うほどの暖かさではないけれど。
「三寒四温」
その寒い時間、その感覚が少しずつ縮まっているように感じます。
本の話を少し。
「ビブリア古書堂の事件手帳」シリーズの最新作を読み終えました。
ドラマ化されていろいろ噂の栞子さんが登場する人気作品。
様々な書籍が一つの軸で数珠つなぎに展開されるシリーズ、
今作の軸は「江戸川乱歩」
はだしのゲンと並んで、図書館の定番図書がたくさんでてきました。
おどろおどろしい雰囲気は、癖があり、それでも一度はハマる時期のある作家でした。
乱歩について知ることが出来る楽しみと、
登場人物の人間関係、謎が解けていく楽しみと、
読みだせば一気に読めてしまいました。
大団円と思いきや、まだまだ続くようで。
それにしても、この作品のヒロイン、栞子さん。
とても素敵なキャラクターなのですが、狙いすぎていると、ついつい頬が緩んでしまいました。
鼻の下が伸びてしまいます、ではなく、
苦笑してしまうのです。
「北鎌倉にある古書堂の店主で、黒髪ロングでスタイルが良くメガネ。
もちろん、メガネをはずすとより美人。
物静かでおっちょこちょいなところもあるが、本のこととなると頭脳明晰、バリバリ事件を解決していく。
ついでにいうと、元気な妹と二人暮らし。」
なんというか、オタクが好きそうなキャラクターを
大盛り盛りだくさんにしたというキャラではありませんか。
15年くらい前のウブな私であれば、悩殺一撃必殺であったと思います。
恐ろしいですね。
そして、この栞子さん。
栞、ではなく栞子であることがミソだと思っています。
「シオリ」でも完結する名前に、
少し古風に感じる「子」をつけることで、
ありきたりではなく、奥ゆかしくも華やかそうな響きも持たせることでできているように感じます。
そこも含めて、「狙い過ぎ」に思え、
とはいえ、作風と併せると仰々しい名前でもないという。
なんて、少々調子にのって「栞子さん」について語り過ぎてしまいました。
この話になると、書かないといけないと思いますが、
ドラマ版の栞子さんについて。
ほとんどみていません。
が、あれはあれでいいのではないかと思っています。
とはいえ、見ていませんが!
- 2013/03/06(水) 18:37:00|
- 書籍について
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3月4日
女の子の日から、歩き出す、一日。
女の子っていくつになっても、お姫様なんだと思う。
どこかで、なにかの機会にそう思った。
お父さんの笑顔、お母さんの迎える手。
差し出した手。
繋いだ手。
夜景を見ながら感じたことを、書きます。
星の瞬き。
街の灯りの鼓動。
どちらも、私の鼓動であり、瞬きであるのだろうけど。
星々は瞬いて、何かメッセージを届けているかのよう。
街の鼓動は、そこに人が生きている証のよう。
以前、そう、このブログにも書いたけれど、
大切な人がいった。
「人は光を見ると希望を感じる」のだと。
轟々と唸りを上げる街の音。
風と人の営みが混ざり合った音に、世界はこんなに猛々しかったのと思う。
それだけ今、静かなところのいるということ。
星々の瞬き、街の鼓動を見ながら。
唸りを上げる街の音を聞きながら。
恋はしたたかに、私から時間も心も思いも、体さえも奪い去っていく。
大きな匙で、ケーキの城を崩して、
根こそぎ奪い去っていくように。
でも、私は男だから、奪う側であったのかもしれない。
それでも、
私は「名前」という匙に救い上げられ、切り取られた心の一欠けとなって、
今でも、どこかで奪い去って行った、あなたのことを思っている。
男は身勝手だけで、寂しい、寂しいと口にだせるくらいの身勝手な生き物なのだと思う。
意味の分からないことをかいしていまいました。
リンクに「Arabic Tetx」を復活させました。
恥ずかしいけれど、つらい思いででもあるけれど、
偽らざる私です。
追伸
「好きだ」という言葉の持つ、重力。
その言葉を発するだけで、私はその恋に引きずり込まれていきます。
その力がとても強くて、躊躇してしまいます。
落ちていく瞬間の快楽。
落ちていく恋。
貴方とともに落ちていく。
貴方のところに落ちていく。
ずっと、この数年間、克服できない言葉です。
- 2013/03/04(月) 22:58:59|
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