「恋文職人」という名前でこのブログをはじめたのはいつだったか。
過去記事を読み返せばわかるのだろうが、
今ぼんやりと思い返していると、
2007年の春ではないかと思う。
アイコンは「もぅぶぅ」と言われる牛のぬいぐるみ。
2007年にTDSにいったときにかった、カチューシャをつけている。
どこかに捨てるものでもないけど、今手元になる。
このときから、3回引越ししているから、もしかしたら。
「恋文職人」という名前の割りに、そんな投稿はほとんどしていない。
だいたいは自分の愚痴。
職人を名乗るのに、実際恋文を書く機会は少なく、
いざ書いたとして、とても苦労するし、
出来上がったのは、何の工夫もない自分の思いの押し付けにすぎなくて、げんなりする。
それでも、恋文とは手紙なので、自分の書いたものは手元に残らないので、
今更反省のしようもない。
そうしてだらだらと、この名前をつけたままにしている。
先日年の近い男性と、手紙について話をした。
彼は、手紙は重い・・・中学のときプリントの切れ端でやり取りしていらいしていない、という。
私は、アナクロな方法がすきなのか、書くほうではある。
仕事でも資料を送るとき、一筆箋に汚い字で一言かいておくるようにしている。
あー・・・脱線してきた。
送った「恋文」そのものより、それまでの日常の中で交わされる手紙、やりとり、交わされる言葉などが、
恋しい、愛しい文たちだと思う。
過ぎていく日々の中で。
一つ一つの言葉を大切にしていきたいと思う。
毎日は目標もなく、つらいことが続くのだけど、
この日々もいつか愛しい日々と思えるのなら。
まとまりないけど、投稿させてください。
また。
- 2016/07/28(木) 09:23:43|
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過去を振り返るときって、
結局都合よくふるいにかけ、それは故意であっても時間がそうさせていることもふくめ、
愛されていた自分
そう思っている自分を懐かしんで、
自己愛に浸っているだけだと。
長い文章になりました。
- 2016/06/06(月) 20:42:05|
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人に惚れた数だけ、自分は分裂して、
その分裂した片割れは、お別れしても、自分には戻れず、
それでも切れることなく。
自分に引きずられていきている。
引きずられているし、引きずっているし。
時に、自分のうちに戻れそうなきがするけど、
気持ちは時間の中で酸化して、風化して、
私も変わり果ててしまい。
だから、思いは離れることもなく、
引きずられて、引きずっていきていく。
- 2016/05/24(火) 21:16:04|
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気になることがあると、言葉の収集、自分の思いついたこと、引用などに注力してしまう。
いつか、それらを使おうと思っているのだけれど。
「嘘でもいいから」
「君がいない夜をこえて」 これはエデンですね。
あこがれ こがれ こいこがれ
とかとかなどなど。
- 2014/02/28(金) 15:30:29|
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